コラム「大宇宙曼荼羅」

本当の神の世界、それは力ではなく

すべてが自然にバランスされる世界

そして、

神性の素直な表現者、それがあなた


● コラム




「神性(わたし)の歌」



神性(わたし)は歌う


悲しみも喜びも


神性(わたし)が歌えば、歓びに


苦しみも怒りも


神性(わたし)が歌えば、歓びに




すべてが自然に許されているこの空間で


すべてを自然に受け容れているこの空間で




神性(わたし)は愛し合い


神性(わたし)は歌い


神性(わたし)は咲き続ける









「神性(わたし)はすべての自分のため」



神性(わたし)は、すべて自分のため


すべての自分のため


この肉体、すべての過去の側面、すべての他者、すべての天使、すべての存在、ありとあらゆる存在するすべてのため


神性(わたし)は、すべてのためにあるのです


そして神性(わたし)は、いまを生き、いま息をし、いま受容し、いま発信し、


すべてとともにあるのです











「コントロールの世界 ― 悪魔の力は限定されている、でも神性は」



悪魔というと、人間は怖がると思うのです。


でも、ここではその悪魔も統合しています。


なぜなら、その悪魔も自神の内にあるものだからです。つまり、それもあなたです。二元の世界、分離したものは、すべて自神の内にあるもの。




悪魔が存在するのは、コントロールの世界です。


悪魔と天使といった、対極のものを創り出し、どちらかに偏った力を使うのが、人間の世界。


成功するためにはというのも、悪魔の考え方。


成功していない私→成功した私


という対極のものを創り出し、左から右に一生懸命向かっていく。それは、まるで坂道を自転車に乗って、一生懸命に上がろう、上がろうとしている姿に似ています。しかも、その「成功」とは、世間の価値観に無意識に当てはめたものだったりするのです。それが人間の古い思考です。とてもとても平面的で、それを得るために自我(自分)の力でなんとかしようとするものです。


古いマインドの世界でどうにかしようとするものは、すべてそうです。


「〜しなさい」、「〜しなきゃそうなるわよ」といったことも、恐怖に基づいたコントロールです。人間は、その考え、古いマインドのなかで生きていると錯覚しているのです。


そうして、人(思考=古いエネルギー)と人(思考)との間で、見えない鎖をつなぎ、がんじがらめになっているのです。


「あなたはこうなるわよ」といった預言も、あなたがそれを選ばなければそうはならないのです。けれども、人間は、自神以外のものに決定権を簡単に明け渡し、なのに、そうなることを恐れます。面白いゲームをするのです。つまり占いや霊能力といったものは、限定された世界、古いマインドの世界での話。


悪魔の顔をした悪魔、天使の顔をした悪魔、つまり、どちらも悪魔なんです。




その悪魔(コントロール)の力が使える世界というのは、とても限定されています。


古いマインドの世界でしか使えないのです。コントロールの仕合ができるのは、その世界にいる人同士だけ。




けれども、神性(わたし)は違います。


その悪魔の世界も光に還すと(飲み込み)、その世界丸ごとを切り離し、調和している状態に。


その世界で何が起きているのかを、ただ観ることができるのです。


ああ、そうなんだなって。


すると、もう悪魔の誘惑に乗ることもなく、悪魔に振り回されることもなく、ただ神性であるわたしで(神性と人間を統合した、新しいわたし)であり、素直な思いのままに、あることができるのです。




神性は、悪魔のような古い力ではなく、愛、調和、感謝に満ちた、光。その光は限定された世界にだけ働くのではなく、全宇宙におよびます。そして一定方向に動くのではなく、すべてをバランスするように動くのです。自然に。古いマインドではそれを理解することはできません。


なので、神性の開花、神性のフィーリングが必要なのです。神性が開花すればするほどに、多くのものに光が当たっていきます。


さらに、すべての光は、神性(わたし)の心に奉仕します。


神性と人間を統合した状態とは、本当に、まったく新しいわたしなんですね。


そして、その状態にあるというのは、自発的にすべてに気づいていく状態なんです。













「もう、まったく世界が違う ― パートナーシップ」



パートナーシップ


ということばがありますが。これは何も男女間のことではなく、すべてとのこと。目に見える存在、目に見えない存在(のほうが、ほとんどですが)とのパートナーシップ。


神性のわたしが開花していくと、神性のフィーリングが本当に繊細にいろんなことをキャッチし始めます。


同時に、こびりついていた「同化していた自分」というものも浮上してきます。


それは、いろんな隠してきた自分です。観ないように、隠してきたものですね。怒っている自分、恐れている自分、不安がっている自分…、いろいろありますけれども、根こそぎ、光を当てて行くように。


それは一気にというわけにはいきません。多くのレイヤーにわたって、その古い信念体系は絡まっているからです。同じパターンを繰り返してしまうのは、そのため。けれども神性の光が当たっていくと、パターンは崩れていきます。


一人ひとり、その経験は独自のものなので、一概には言えませんが、パターンが崩れていくのを実感すると同時に、気づきも速くなるのです。これまでなら、10年かかっていた気づきが、一瞬にして訪れる。それは神性が開花すればするほどに、スピードは増していきます。


同時に肉体も変容していきます。なぜなら、肉体にも古いエネルギーが、隠れているからです。


もうそれはそれは、ほんとに。


自然にそうしたものも気づき、光に還していく。


古いマインドの世界の原動力は、対立する力ですね。葛藤。それは、気づかずにしているものです。隠してきたものを無視し、受け容れがたいために、妙に元気に振る舞ってみたり。そして疲れてみたりと。

ヘンにパワーを使っているときは、そうなってしまうもの。

けれども、それらをクリアにしていくと、自然体というのが、自然になっていく。

そして、いろんな「自分」と、切り離して、調和することができるんですね。つまり、瞬間、瞬間、遊べる。





そしてパートナーシップ。


神性のフィーリングで、いろんな情報をキャッチする。それはただあるからです。ただ、神性のわたし自神であるからです。


多くの目に見えない存在たちを、身近に感じるでしょう。天使たちも、マスターたちも。なぜなら、常に共にあるからです。


そして、あなたが決めたことをサポートする。その愛を繊細に、大胆に受け取ることが自然になっていきますね。


すべてがあなたの答えをサポートします。だからこその、ノーパワーなのです。


本当に、新しい世界は、感じる。神性が、わたしが、感じる。


それはもう、古い世界とは、まったく違うんですね。











「神性のいまを生きる―すでにそうである世界」



神性(わたし)は、いま


神性は、いつも、いま


自神に楽しいことを許す


自神にうれしいことを許す


神性は、いま、うれしく


そのすべてを受け容れているのです


神性は、いまを生きているのです


神性の開花した状態、それは多くの光に還った可能性


それを、いまうれしく選択し、


いまうれしく自然に受容しているのです













「ただわたし自神である」


ただわたし自神である


神性の光のわたしが、多くの私を光で照らし、調和した世界


わたし自神は、信頼そのもの


わたし自神は、感謝そのもの


わたし自神は、豊かさそのもの


わたし自神は、愛そのもの


ただ、もうすでに、そうであるわたし自神


うれしく、穏やかに、平和に、すべてを神性(わたし)のフィーリングそのままに楽しむ


神性が開花した、わたし自神












「ひっくり還る ― 新たな光がサポートする世界」


神性の光(あなた)がすべての覆い(信念体系)を飲み込み


ひっくり還った世界


一点の神性の光がすべてを飲み込み、ひっくり還り、神性の花が咲いた世界


それが新しいあなた




これまで隠れていた裏が、すべて表に




(すべて隠さなくていいんだよ。隠れてなくていいんだよ。どんな経験も、どんな感情も)


うれしく、すべてうれしく表に、光に


光に満ちて、すべて表に


よきかな、よきかな、すべてよきかな




もうここでは、あなた以外のアイデンティティをもつ必要がありません


あなたは、自然なる、うれしいあなたのままで存在し続けるのです




新しい光のあなたを すべての新たな光がサポートします


新たな光がサポートする世界


新たな光に満ち、満ち続ける世界













「繭(まゆ)のなかで眠っていた神性(わたし)が」


繭(まゆ)のなかで眠っていた神性(わたし)。


繭(まゆ)のなかで、ただ輝いていた神性(わたし)。


でも、まだ深い眠りにあるようで、現実はぼやけて観えて。


まだ眠りの中。


柔らかな繭(まゆ)に包まれるように


多くのガイドに見守られていた神性(わたし)は


ある日、ガイド達に別れを告げ、独り立ちを始めたのです。


故郷の大勢の天使たちが見守るなか、神性(わたし)は彼らにも別れを告げ、独り立ちを始めたのです。




繭が取り払われた、まばゆいばかりの光の世界を体験し、うれしい神性が観る世界を。




神性(わたし)は、まるで子供のよう。


見るもの、触るもの、聴くもの、すべてが新鮮で、あまりも新鮮で。まるで子供ように無邪気で、楽しくて。


初めて、世界を観たと感じて。


人間の感情は高まり続け。


けれども――、


神性(わたし)は、まだ多くの信念体系のグリッドの中。


まるで、たくさんの針金に囲まれているような世界で、


ともすれば、その世界に引きずり込まれそうになる。


固い、固い、強固に観える、その世界が恐ろしくもあって。


あまりにも無防備になった神性(わたし)は、バランスを取るのが難しくもあったり。


人間としてのポジティブな感情が高まるたびに、恐怖や不安、猜疑心、孤独…、ありとあらゆる闇の感情が襲いかかってくるようで。


主張する側面たちに、同化しそうになる。


それは、当然なことで。それは必要なことでした。極を体験すること。それは統合には欠かせないことだったのですね。




それはつらいこともありました。だけど――、いつもいつも、多くの存在たちに見守られ、サポートされ、


ただ神性(わたし)である光のままに、その信念体系(針金)に光を当てていったのです。


生きること、死ぬこと。男であること、女であること。親であること、子であること。分離の世界が創り出した、複雑に絡み合った信念体系。それは、人と人、自身の側面と他者の側面同志をも、がんじがらめにしていました。複雑に、複雑に、絡み合わせ。


本当に、たくさんの複雑な信念を、多くの人間(の側面)同士が絡ませ合っているものですね。マインドの世界というのは、人間の世界というのは。




だからこそ、独りの時間が大事になっていったのですね。




やがて、その強固に観えていたグリッドは消え去り、複雑にからまった針金は幻想だったと気づいたのです。




解放された神性(わたし)は、独り、すべて、自由。




故郷の天使たち、大天使たち、多くのすでにアセンドした存在たちも


ここに統一、統合し、神性(わたし)が開花したのですね。


彼らはいつも、わたしとともにありました。いまは、わたしの内に、わたしとともにあるのです。


それはもう、あのただうれしいだけの神性(わたし)ではなく。


いろんなことを知り、それさえも美しく感じ、なお子供のようにうれしい心をもった、新たなわたしなのです。


もう他者のドラマに巻き込まれることがない、わたし。




神性と人間の統合。




これは、あなたの物語。


あなたの旅の物語。


私のドラマを演じる時代は、終わり。


これからは、いま、わたしを生きる。


それは、古い物語(ドラマ)とはまったく違う、まったく新しいストーリー。


ノーパワーのうれしい、楽しい、魔法のように、


自神の思いを発信し、受容し、楽しむストーリー。










「旅の終わり。わたしを生きる」


人間の偏った多くの「私」が、神性の光の元に還る


多くの次元に散らばった、偏った「私」が、神性のわたしの元に集結する


光に還った、多くの「私」


偏ったパワーで何かを成そう、何かを得ようとする時代は終わり


神性の光に、多くの光が統合、統一されれ


神性の光の花が開花した、本当のわたし、新たなわたし


多くの力の「私」が、神性の光の元に還るにつれ、


余計な力は抜け、肩の力は抜け、


本当にうれしさのままに、ただうれしさのままの


神の思いが現れる



ただ、うれしい純粋な、澄み切った神の思いのままに


わたしを生きる













「純粋な思いは、神の思い。それが情熱」


純粋な思いは、ただうれしいもの。


純粋な思いは、とてもクリアなもの。


ただうれしく、澄み切った思い。


それは、神性の曇りのない素直な思い。


それが新しい神である人の情熱。


新しい神である人の、


ただうれしい情熱。


偏った力の抜けた、ただうれしい思い。


そのとき、すべての光は、自然に動く。


あなたの思いに呼応するように、


何の力も必要なく、自然に動く。


神であるあなたの思いを、すべての光が軽やかにサポートする。


新しい光の世界。


ニューワンネス。









「欲する世界、受け取る世界」


人間の世界は、欲する世界。


神性が開花した、神である人の世界は、受け取る(発信する)世界。


人間の世界は、どこまでいっても満たされない世界。欲する世界。


神である人の世界は、ただうれしく満ちている世界。


神性の純粋な思いのままに、うれしさのままに、楽しさのままに、 豊かさが、自然に拡大し、満ちてゆく世界。


受け取る鍵は、神性のフィーリング。














「そうなろうとするのを、自然にやめられた世界」


神性の開花。


それは、本当のわたしであるということ。


そうなろうとするのを、自然にやめられた世界。


そうなろうとするのではなく、ただ自神の表現したいものを、自然に選び、表現している世界。


何かになろうとか、何かにならなければといった人間のマインドの世界ではなく。


ただ、わたし自神であることを自然に表現している世界なのです。


本当の自分を、マインドの人格だと思い込んでいるうちは、どうしてもこの「なにかになろう」としてしまうものです。


あなたが神です。


たくさんの思い込みの、古いマインドの世界を、神性(本当のあなた)が丸呑みし、美しく咲いた花。


それを本当に体感すると、この世界では、もう「なにかになろう」は、ないのです。


なぜなら、もうわたしが選びものを瞬間に表現しているからです。


神性が開花した世界、それはとてもうれしく、楽しく、優しい世界ですね。
















「心地いいことは、自然なこと」


いろんな泥の世界の信念体系を、あなた(神性)がただ受け容れ、光に還し、光に満ちてくると、


本当に自神にとって、心地いいことが自然なことになってきます。


どれほど、いままでパワーで、我慢をし、「こういうものだから」と力でねじ伏せる生き方をしてきたのかと思うかもしれません。そして、ふっと笑ってしまうかもしれませんね。


さらに、「え? こんなに簡単でいいの?」と、驚くかもしれません。何か、物足りないような気がするけれども、ああ、いままでがおかしかったんだと気づくのですね。


ただ自然にあるというのは、神性が開花した状態。


本当に、自神のうれしいと思うことを自然に選び、受け容れ、この肉体をもって人間としていろんな感情を感じ、肉体があることを感じ、人間として生きていることが、ただうれしく思うのですね。


心地いいことは、自然なこと。


何かを無理に成そうとすることもなく、誰かを、何かをコントロールしようとすることもなく。


ただうれしく存在する、ニューエナジー・アーティストなのですね。
















「神性の創造は、表現」


生も、死も、神性のひとつの表現にすぎない。


そうしたことを一番最初の記事に書きましたが。


表現というのは、神性においては、創造なんです。


創造しようとか、何か頑張ってそれに力を加えようとか、そうしたことではなく、ただ自然なる表現なのです。


それが神性、創造主である人の創造なのです。


ここでもう、まったくパワーを使っていないのが分かると思うのですね。


神性が開花すればするほどに、すべては神性の光によりバランスされ、過去の古いマインドの世界の陰陽(経験)はひとつの光として新たに蘇り、その光と神性が調和します。


そのたびに、創造主である人の表現のひとつに、それらは加わるのですね。


そして、創造主はうれしい思いのままに、うれしい現実をただ選び、ただ表現するのです。


ものすごく簡単なことなんですね。


そのための統合であり、統一なのです。





















「神性のフィーリング」


神性のフィーリング。


それは、人間の五感ではありません。それを超えたもの。


人間の五感は、限られた範囲でのみ機能しますが(地球に近い領域まで)、神性のフィーリングは多くの次元において自然に感知します。


神性の花が開花すればするほどに、受容力が高まるのは、神性のフィーリングが増すからなんですね。


泥の世界をすべて光に還し、神性の光に満ちれば満ちるほどに、


古いパワーの世界からは卒業していきます。



そのとき、一時的に情熱を失ったような気がするものです。それは、古い人間の信念体系における目的だったんですね。つまり、本当の心、神の心、うれしい心、何も条件なく、ただそうしたいと思う心からの思いではなく、


こうしなきゃいけないからと無意識に植え付けていた考えを目的にしていたということ。


すると、頑張るのです。我を張る。パワーを使うのですね。


それは、うれしくありません。


一時的に古い情熱を失うと、まるで方向感覚を失ってしまったように感じるもの。けれども、それも一過性のものです。新たな、本当の情熱、神であるあなたの思いが、自然に立ち上がります。


本当の素直な思いのままに生きることが、自然になっていくんですね。


本当にエレガンスに、ただある神である人として。





















「創る人より、届ける人(表現する人)」


「創る人より、届ける人でありたい」


これはチューリップの財津和夫さんの言葉です。ふいに目にした財津さんの本「私のいらない」(廣済堂出版)を読み、いろいろと共感することが書いてありました。


財津さんは、自身のことを「職人気質」だと言っています。


そして、職人とは、創る人ではなく、届ける人だと。


ああ、本当にそうだと、感銘を受けたんですね。


すべては自身の内から溢れ出すものですが、その中に、自分だけのオリジナリティというのは、実はないんですね。


感情に、その人だけのオリジナリティがないように。こんな珍しい感情を発見しましたなんてニュースがないのが、その証拠なんですね。


そして、一人ひとりの宇宙、それはすべて繋がっていて。


これまで生きてきた先祖たち、目に見えぬ存在たちも。


そこで、これは私の創造だと慢心してしまえば、ものすごく窮屈なことになってしまう。神に慢心なんて、ありませんよね。だって、それはうれしくないですから(笑)。うれしくないってことは、自然じゃないってこと。


もちろん、一人ひとりの表現というのは、違うものです。それはもう表現しようとか、何か作為的になってしまうと、表現ではなくなってしまうもので。


ただこのわたしの宇宙、神である宇宙の思いというのか、情熱というのか、情報というのか、そういうものをただ表現し、届ける。


ただ届ける。ただ表している。


自分に。そして、すべての自分に。ああ、こんなのが出来たっていう驚きとか、発見とか、そういうものがあって。


それが職人だと。それが神である人なんだと、感じたんですね。


そして、それこそがアーティストだと。


ただわたしの内にあるものを、自然に湧きあがるものを届ける。より軽やかで、自然だと感じるのです。


















「神はパワー(力)ではありません」


人間(自我)は、力を欲する生き物です。


なぜなら、自分は弱くて、力がないと思い込んでいるからです。


だから強くなりたいと思い、力を欲する。


それが、権力欲や名誉欲などの欲を強化していくんです。


それでも、人間の満足はとどまりません。それを得ても、やっぱり不安だからです。


そして、最終的に神にすがるのですね。


力をもった神に。力を与えてくれるであろう神に。


それが、人間の世界です。


その代表的なものが、霊能力じゃないでしょうか。目に見えぬ世界にもパワーがあると思い込み、その力でなんとかしようとする。


それこそが幻想なんです。それは人間が創り出したエゴの神様ですね。


本当の神は、パワーは使いません。


本当の神は、ただバランスするのをサポートするだけ。神である人の素直な思いをサポートするだけ。そして、あなたが神なんです。統一されればされるほど、神性の花は開いていき、すべての光はあなたに集結します。そして、あなたの素直な思いをサポートするのです。 本当の世界では、光は、至るところに存在しているんです。本当は。それを感じ、受け取ることができると、とてもうれしく愛を感じるんです。


そして、神というのは、全知全能の力をもったものではなく、ただうれしくそこに存在しているだけなんです。


それを愛と表現したり、感謝と表現したり、光と表現したり。


人間はなぜ不安や恐怖にかられるかというと、パワーの世界にいるからなんです。すると、偏ってしまうのです。パワーが欲しい、力が欲しいと。欲しい、欲しいと、いつも願望を持ち続けるのです。幻想の中にいるからなんですね。


もう、その世界も丸呑みし、あなたを中心に(あなたがマスターです)、ただ光に還し、うれしく存在している神。うれしく存在し、人間として神を表現している、それが、あなたなんです。

















「光の体験から統一へ」


よく光の体験と言いますが、実は、この体験をしたあと、そのままその世界に居続けた人というのは、いないのです。


光の体験をしたあとも、二元の現実は続きます。


それに余計に振り回されてしまうケースもあるんです。一度、強烈に体験すると、その世界とのギャップに苦しむ人も。


それは、統一されていないからなんですね。


統合するということ、それはもう二元の世界の泥をすべて丸のみするまで続きます。


それはもう、このすでにそうである空間では、過去を光に還しているに過ぎないことになるんですね。


すべてを丸呑みする。


すると、神性の花が開花する。

















「うれしさのままに動く、心地いいままに動く。」


「手を動かして、足を動して。あなた(神性)が感じるままに」


うれしさのままに動く、心地いいままに動く。


そんなことを日常の中でやってみる。


ただじっとしているのではなく、肉体を心地よく動かしてみる。


そうすると、肉体にたまっていた古いエネルギーが動き出します。


ハードに鍛えるというのではなく、心地よく、うれしく、体を感じながら、肉体がこっちに動かして欲しいなーというのを感じながら、動かす。


そんなことも、古いエネルギーを光に還していくのと同じことなんですね。
















「現実は、いつでも選び直せる」


「あなたの人生を決めるのは、あなた自身」


すごく、この言い方は固いですね(笑)。


決めるっていうのは、本来もっと自然で、リラックスしたものだったりするんです。


決めるというのは、うれしさそのもの。クリアそのもので。


パーッと、目の前が明るくなるような、そんなうれしさもありますよね。


あなたは、人間ではありません。


神性の光。そして、光を覆っている、多くの信念体系を光に還し、調和したのが、新しい本当のあなたです。


でも、いつのときも、神性は知っています。本当の思いを、本当の素直な思いを。


それは、うれしいものなんです。


統合・統一されていくと、余計な覆いが光に還り、うれしいものを選ぶことを許していく。そんなことが当たり前になっていくものなんですね。











「あなたは人間ではありません」


あなたは、人間ではありません。


あなたは、男でも、女でもありません。


あなたは、神性の光です。


けれども、神性の光は、一人ひとりの信念体系という覆いでおおわれています。


すると、周囲が曇って見えるのですね。


人間の肉体を含め、すべては、本来、神性の光の素直な表現であるのですが。


覆いがあるために、いろんな偏りが出来てしまい、健やかな状態、自然な状態ではいられないのです。ただ、それが悪いわけではなく、そういうものなんです。


肉体はあなたという創造主の表現のひとつ。


生きているということ、死ぬということも、ひとつの表現に過ぎません。


統合・統一されてくると、とても素直に、とてもうれしく、自神の思いを瞬時に形づくる。


それは古い信念体系のようなグリッドではなく、一人ひとりの生命のアートなんです。




















神性(わたし)の歌


神性(わたし)はすべての自分のため


コントロールの世界 ― 悪魔の力は限定されている、でも神性は


もう、まったく世界が違う ― パートナーシップ


神性のいまを生きる―すでにそうである世界


ただわたし自神である


ひっくり還る ― 新たな光がサポートする世界


繭の中で眠っていた神性(わたし)が


旅の終わり。わたしを生きる


純粋な思いは神の思い。それが情熱


欲する世界、受け取る世界


そうなろうとするのを、自然にやめられた世界


心地いいのは、自然なこと


神性の創造は表現


神性のフィーリング


創る人より、届ける人(表現する人)


神はパワー(力)ではありません


光の体験から統一へ


人間はマインドを使う、神性はフィーリングのままに


うれしさのままに動く、心地いいままに動く。


あなたは人間ではありません